僕がもっと若かったころ、確か高校生のときだったと思います。エヴァンゲリオンの監督である庵野秀明さんのドキュメンタリーがテレビで流れてたんですよね。
普段からテレビを見るタイプではなかったのですが、家族が一緒にみようというので座って見てたんです。
そこで庵野さんが
「僕の父親は事故で片足の膝から下がなくてね。そういう環境で育ったせいか欠けているものを美しいと感じる。」
というようなことをおっしゃったんですね。
それを聞いた親が
「歪んでるねー」 「そうだねえ」
と言っていたんです。
でも僕はこの時、
「なんてまっすぐな人なんだ」
と全く逆の感想を抱いてました。父親が片足の膝から下がなく、そういう環境で育って欠けているものが美しいと感じるという一連のストーリーに何も歪んでるところなんてないのに、って思ったんですよね。
その時にあれ?まっすぐ生きるってなんなんだろうって疑問が出てきて、しばらくそのことを考えてた時期がありました。
僕は理解ができないような価値観を持っていたり、訳のわからない行動をしている人でもその人がどういう環境で育ったとかどういう出来事があったのかとか人生全体を見れば必ず分かり合えると思っています。
つまり何が言いたいのかというと、まっすぐに生きるっていうのは結局他人が理解しやすい人生を生きるっていうことだと思うんです。
考えてみれば当然ですよね。歪んでいるものよりまっすぐなものの方がわかりやすいのは。
でも人間まっすぐ生きるなんて無理な話じゃないですか。
だって光でさえ、ブラックホールがあったら曲がっちゃうんですよ?
自分にはどうしようもない環境に置かれたら歪むのは当然だと思うんです。
女性用風俗を利用するってやっぱりまだまだ世間的には理解されないことが多いと思います。でもそれは貴女が今難しい状況にいるということの裏返しでもあると思うんです。しかも理解されにくいから誰かに相談もしづらいと思います。
その状況を少しでも好転させる、そこに女風セラピストの存在価値があり、少なくないお金をいただいていると考えております。
抱え込んで抱え込んで、「どしたん、話聞こか?」みたいな男に目をつけられたらおしまいですからね。