夕暮れの紅葉坂をひとり歩く。濃くなってゆく秋の気配に、胸の奥が少しだけ切なくなる。坂の中腹に佇む、小さなレストラン。暖色の灯りが窓越しに漏れていて、まるで遠い記憶の中にある風景のようだ。
店に入ると、グラスの音と、静かなジャズピアノ。誰かの笑い声が小さく響いて、まるで世界が優しくなったように感じる。奥の席に腰を下ろし、窓の外をぼんやり眺めながら、グラスに口をつけた。
ふと、思う。人はなぜ、こうして夜を静かに過ごしたくなるのだろう。何かを忘れたいわけでも、思い出したいわけでもない。ただ、心の奥に触れるような時間が、たまに必要になる。
料理は静かに運ばれてきて、ひと口ずつ、丁寧に味わう。美味しさの中に、小さな幸せが散りばめられている。会話のない時間も、こんなに満たされるものだったとは。
帰り際、ドアを開けると、夜風が少しだけ冷たい。けれど、その冷たささえも、どこか愛おしく思える。
紅葉坂の灯りが遠ざかる。今夜の記憶は、きっと長く残る。
