自称イケメンは白い目で見られがちなのに、自称イケボはなんとなく許されてる感じがするのはなぜか?
僕は、それが、解せぬ!
僕は、自称イケメンってけっこう好きなんです。
イケメンを自称することで「イケメンかどうか」を判定する目線で見られるわけだけど、そうすれば当然「イケメンではない」という否定的な意見を言われるリスクがあります。
それを承知の上でイケメンを自称する「覚悟」を、彼らからは感じます。
そのメンタルは素直にカッコいいと思えるし、見習いたいものです。
やはり自己肯定感の高い男の人は、堂々としてて魅力的に感じます。
さて、自称イケボにその「覚悟」があるでしょうか?
「イケメンではない」と比較して「イケボではない」って言われても、なんとなくダメージが少ない気がしません?
だからとりあえずイケボって言うだけ言っとけって感じがします。
イケボからは「覚悟」を感じないのです。
そもそもイケメンには対義語としてブサイクという言葉がありますが、イケボにはそれに該当する否定的なワードが存在しません。
圧倒的にリスクが低いのです。
また、イケメンを自称することは「イケメンな自分でありたい」「そのために自分磨きは怠らない」というアファメーション的な意味合いもあるでしょう。
それは、向上心の高さに他なりません。
自称イケメンに相応しい自分でいるために、スキンケアを頑張ったり、髪型やメイクの勉強をしたり、ファッションの工夫をしたり、努力をしている人が多い印象です。
では、自称イケボは?
自称イケボでいるために、ボイストレーニングに通ったり、ノドのコンディションに細心の注意を払っている人がどれだけいますか?
自称イケボはたくさんいますが、イケボであるために努力している人はあまり見かけないように思います。
そして何より自称イケメンにはユーモアがあります。
自称イケメンは「キャラ」として言ってる部分もあるでしょう。
容姿について言及することが問題視されがちな時代ですが、自称イケメンはそこに触れやすい空気を作り、話の「ネタ」を提供してくれています。
そして「本当にイケメンだね」も「別に言うほどイケメンじゃなくね?笑」も受け入れてくれる包容力を感じるのです。
「イジり」を許容する「器の大きさ」と「ノリの良さ」があるので、一緒にいて楽しそうな雰囲気があります。
これがイケボとなるとどうでしょう?
「イケメンキャラ」はいますが、「イケボキャラ」ってあまりいない気がします。
自称イケボに「キャラ感」「ネタ感」はなく、あるのは「まんざらでもない感」です。
生活をしていて「この人イケメンだな」と思うことは多々あります。
でも「この人イケボだな」と思うことは皆無です。
男の僕からすれば、自称イケボのほとんどは「ちょっと低めの普通の声」でしかありません。
男性と女性では感じ方に違いがあると思いますが、それを考慮しても「イケボ」と言えるほどの声をしている人は希少だと思います。
それなのに自称イケメンよりも自称イケボの方が圧倒的に多いのはなぜでしょうか?
それは「リスク」が無いからです。
この不公平を是正するためには、イケボを自称することに「覚悟」を必要とする環境を作らなければなりません。
まずはイケメンの対義語としてブサイクがあるように、イケボを否定する言葉としてブサイクボイス=ブサボを普及させるべきです。
迂闊にイケボを自称すれば、ブサボと否定される「リスク」がある。
それによって、「覚悟」がなければイケボを自称できなくなります。
そして「ナルシスト」への認識を改めます。
自称イケメンに対して「ナルシストっぽい」と印象を受ける人は多いです。
では自称イケボに対しても同じように「ナルシストっぽい」と思うべきではないでしょうか?
なんなら「ネタ感」が無いので、自称イケメンより自称イケボの方がガチナルシスト説、あると思います。
さて、自称イケメンに自称イケボ、それ以外にも多くの自称〇〇がいます。
言ったもん勝ち、書いたもん勝ちの世界です。
指名をもらうために自分のことを良いように言いますが、自称と事実が必ずしも一致するわけではありません。
だからこそ僕は「言葉の説得力」を大切にして、根拠のないアピールはしないようにしています。
僕は自称ひねくれ者です。
ひねくれてなきゃこんな日記は書けないでしょ?
これが「言葉の説得力」というやつです。
まぁ、ひねくれ者であることが一体なんのアピールになっているかは全くの不明ですが。